ツイッターやフェイスブック、公民館ブログ等には掲載したのですが、記録のためにこちらにも。
1月17日の琉球新報です。

今回の受賞について、思ったこと、感じたことを書きはじめたんだけど、なんだか長いわりに面白くないことに気づいたので削除。
ただ、受賞のニュースによりアクセス数がグンと伸びたのはいうまでもなく。
今回はじめて若狭公民館を知った人も少なからずいたと思います。
そういう人が公民館活動に興味・関心を持ってくれたら嬉しいな。
→ 若狭公民館ホームページはこちら。
1月17日の琉球新報です。

今回の受賞について、思ったこと、感じたことを書きはじめたんだけど、なんだか長いわりに面白くないことに気づいたので削除。
ただ、受賞のニュースによりアクセス数がグンと伸びたのはいうまでもなく。
今回はじめて若狭公民館を知った人も少なからずいたと思います。
そういう人が公民館活動に興味・関心を持ってくれたら嬉しいな。
→ 若狭公民館ホームページはこちら。
4年前から琉球新報では美術月評とあわせて美術コラム「視線」というコーナーを設けています。
4名の執筆者がローテーションでアートにまつわるコラムを執筆するというもので、私も拙文を寄せています。
1月11日に、コラム執筆者への質問で2012年のアートシーンを占うという新春企画が掲載されました。

正直、他の執筆者の Q③ に対する答えは意外でした。
今年は復帰40周年ということで、さまざまな企画展が開催されます。
復帰30周年のときは東松照明「沖縄マンダラ」展と同時開催のフォトネシアがあり、日本写真史においてもトピックとなるであろう大きな動きがありました。
今年はそこまで大きな動きはないとしても、それでも写真家たちは元気で、浦添美術館で開催される比嘉豊光さんと山城博明さんの二人展をはじめ、5月15日にあわせて様々な写真展が開催されるようです。
他の執筆者からは写真展や写真家の名前が挙がるだろうと予想したのですが、一人からも挙がらないというのは全く意外でした。
また、予想以上に若手の名前が多くてビックリしました。
佐喜眞さんの『上原誠勇』さんというのはよくわかります。私も画廊沖縄での企画を一つ挙げてますし、通年で「復帰」を問う企画展を行うということで興味津々です。
上原さんが挙げた5名の作家と批評家の『土屋誠一』さんは、もう中堅といわれる世代になっているものの、秋友さんの『吉濱翔』『大塚泰生』は20代の若手。
まさか50代以上のベテランの名前が一人もないとは。
県立美術館で開催される展示が入っていないというのも、まぁ、わかるんだけど、なんか淋しいような。。。
震災や原発事故、そして普天間基地の問題と、こういう状況だからなのか、このラインナップは若い作家に新しい動きを求めている現れのような気がします。
ほかにもこの紙面では紹介できなかった小さな動きがあちこちで起こっているようです。
どんな一年になるのでしょうか。
いい年にしましょう。
4名の執筆者がローテーションでアートにまつわるコラムを執筆するというもので、私も拙文を寄せています。
1月11日に、コラム執筆者への質問で2012年のアートシーンを占うという新春企画が掲載されました。

正直、他の執筆者の Q③ に対する答えは意外でした。
今年は復帰40周年ということで、さまざまな企画展が開催されます。
復帰30周年のときは東松照明「沖縄マンダラ」展と同時開催のフォトネシアがあり、日本写真史においてもトピックとなるであろう大きな動きがありました。
今年はそこまで大きな動きはないとしても、それでも写真家たちは元気で、浦添美術館で開催される比嘉豊光さんと山城博明さんの二人展をはじめ、5月15日にあわせて様々な写真展が開催されるようです。
他の執筆者からは写真展や写真家の名前が挙がるだろうと予想したのですが、一人からも挙がらないというのは全く意外でした。
また、予想以上に若手の名前が多くてビックリしました。
佐喜眞さんの『上原誠勇』さんというのはよくわかります。私も画廊沖縄での企画を一つ挙げてますし、通年で「復帰」を問う企画展を行うということで興味津々です。
上原さんが挙げた5名の作家と批評家の『土屋誠一』さんは、もう中堅といわれる世代になっているものの、秋友さんの『吉濱翔』『大塚泰生』は20代の若手。
まさか50代以上のベテランの名前が一人もないとは。
県立美術館で開催される展示が入っていないというのも、まぁ、わかるんだけど、なんか淋しいような。。。
震災や原発事故、そして普天間基地の問題と、こういう状況だからなのか、このラインナップは若い作家に新しい動きを求めている現れのような気がします。
ほかにもこの紙面では紹介できなかった小さな動きがあちこちで起こっているようです。
どんな一年になるのでしょうか。
いい年にしましょう。
2012年1月3日の琉球新報にインタビュー記事が掲載されました。
昨年3回開催した復帰っ子勉強会。その3回目、川満信一さんを講師に開催した「復帰闘争と反復帰論」のときに、新春の紙面で復帰(40年)について様々な人のインタビューを行うが、その一人として取材させてほしいと依頼がありました。
取材を受けて思い出したのが「週刊こどもニュース」。
復帰30周年のときに、こども役の子からインタビューを受け、答えました。
場所は前島アートセンターの事務所兼ライブラリー。
立ち上げてまだ1年しか経たない前島アートセンターの宣伝になればという思いもあって引き受けたのでした。
やっぱり、10年ごとの節目の年に「復帰っ子」はもてはやされますね。
でも、10年前のインタビューで何を話したのか、正直覚えていません。
そのときのビデオもどこにいったかわかんないし。
で、今回のインタビュー記事。
なんだかとりとめもなくいろいろ話したことをうまくまとめていただいたと記者には感謝しているのですが、ただひとつ気になるところがあります。
「復帰前は大変だっただろうと思う。復帰前のことを知れば知るほど、復帰にかけた当時の人々の思いを強く感じる。」という部分。たしかにその通りだけど、少しニュアンスが異なります。
なんだか、復帰前は大変だったけど復帰してからよくなった、という「復帰」を肯定的に捉えているというような印象を与えるんじゃないかな、と。
もちろん、復帰に対して否定的に思っているわけではないけど、復帰の式典が行われた那覇市民会館の会場の外では「反復帰」の集会が開かれていたという事実。その事実も含めて復帰を推進した人たちだけではなく、反対の意見を持った人たちも含めた様々な人たちの思いを知りたいし、当時の思いを知ったうえで今の沖縄をみて、これからのことを考えたいと思っている。
手放しで復帰後の沖縄の姿をよろこんで受け入れているわけではなく、より多角的にみつめて考えたいと思っているのです。
だから、「復帰っ子」のイデオロギーを越えて同窓会的に沖縄の過去、今、これからを話し合える関係に可能性を感じているということです。
「過去」から「今」のことを考えると、わじわじすることもあるけど、「これから」を語る時には希望を持っていたい。
ということで、また復帰っ子勉強会しますよ。
現在企画中なので、詳細決定したらお知らせします。

昨年3回開催した復帰っ子勉強会。その3回目、川満信一さんを講師に開催した「復帰闘争と反復帰論」のときに、新春の紙面で復帰(40年)について様々な人のインタビューを行うが、その一人として取材させてほしいと依頼がありました。
取材を受けて思い出したのが「週刊こどもニュース」。
復帰30周年のときに、こども役の子からインタビューを受け、答えました。
場所は前島アートセンターの事務所兼ライブラリー。
立ち上げてまだ1年しか経たない前島アートセンターの宣伝になればという思いもあって引き受けたのでした。
やっぱり、10年ごとの節目の年に「復帰っ子」はもてはやされますね。
でも、10年前のインタビューで何を話したのか、正直覚えていません。
そのときのビデオもどこにいったかわかんないし。
で、今回のインタビュー記事。
なんだかとりとめもなくいろいろ話したことをうまくまとめていただいたと記者には感謝しているのですが、ただひとつ気になるところがあります。
「復帰前は大変だっただろうと思う。復帰前のことを知れば知るほど、復帰にかけた当時の人々の思いを強く感じる。」という部分。たしかにその通りだけど、少しニュアンスが異なります。
なんだか、復帰前は大変だったけど復帰してからよくなった、という「復帰」を肯定的に捉えているというような印象を与えるんじゃないかな、と。
もちろん、復帰に対して否定的に思っているわけではないけど、復帰の式典が行われた那覇市民会館の会場の外では「反復帰」の集会が開かれていたという事実。その事実も含めて復帰を推進した人たちだけではなく、反対の意見を持った人たちも含めた様々な人たちの思いを知りたいし、当時の思いを知ったうえで今の沖縄をみて、これからのことを考えたいと思っている。
手放しで復帰後の沖縄の姿をよろこんで受け入れているわけではなく、より多角的にみつめて考えたいと思っているのです。
だから、「復帰っ子」のイデオロギーを越えて同窓会的に沖縄の過去、今、これからを話し合える関係に可能性を感じているということです。
「過去」から「今」のことを考えると、わじわじすることもあるけど、「これから」を語る時には希望を持っていたい。
ということで、また復帰っ子勉強会しますよ。
現在企画中なので、詳細決定したらお知らせします。

はいさい!
ぐすーよー ちゅーうがなびら
わんねー めーぐすくじゅん りいちょーいびーん
うまりたるとぅくるや なーふぁぬしちなやいびーん
なまくらちょーるとぅくるや わかさまちやいびーん
ちゅーや ゆたさるぐとぅ うにげーさびら
(こんにちは! 皆さん ご機嫌いかがですか)
(私は 宮城潤 ともうします)
(生まれは 那覇市識名です)
(現在の住まいは 若狭です)
(今日は よろしく お願いします)
12月10日に開催された「なは教育の日」フォーラムにパネリストとして発表した際、このうちなーぐちの挨拶からはいりました。
もともと、うちなーぐちは全然しゃべれず聞くことも出来ないんだけど、それでも登壇直前に教えてもらい、無理して使ってみました。
最近、那覇市では、このような式典や会合の際、冒頭だけでもうちなーぐちで挨拶をしようと勧めているそう。
ちょうどフォーラム直前の副市長挨拶でも、「はいさい ぐすーよー ちゅーうながびら」から入り、市長がうちなーぐちを推奨していると話していました。
普段使い慣れないうちなーぐちを無理して使ったのは、那覇市が勧めているから、というわけではありません。
「方言札」について耳にすることは多いけど、これは主に学校教育の中で標準語を普及させるため行われたもの。
その名残か、自分が子どもの頃も「本土並み」を目指した教育の中で「沖縄方言は使ってはいけない」という価値観が一般的だったように思います。
それが今では、9月18日を「しまくとぅばの日」と制定し、それぞれの土地の言葉を使うことを自治体が奨励している。
何が言いたかったかというと、時代や社会の状況によって「教育観」は変容するということです。
今回のフォーラムのテーマは「時代の転換期に求められる生きていく力とは?」サブタイトル「〜大震災・原発事故からの復興にむけて〜」。
時代の変革期ともいわれている今日、子どもたちに求められる「生きていく力」とはなんなのか、パネリストそれぞれの体験談や活動事例を通して考えていくという趣旨でした。
3月11日、未曾有の被害をもたらした「東日本大震災」が発生。あわせて福島の原発事故。
日本中はパニック状態に陥り、被災地から最も離れた沖縄でも連日テレビ等で流れてくる映像をみながら、人生観が揺さぶられると同時に「なにか自分たちに出来ることはないか」「今後どのように生きていくべきか」と考えた方も多かったはず。
そして現在、多くの方が避難のため沖縄に住まいを移され、身近にもそのような方々多くいるという状況があります。
このたびの震災・原発事故で、さまざまな価値観、人生観が大きく揺さぶられたというのは間違いありません。
同時に「大きな災害が起こったとき、どうすればよいのか」「原発は必要か」といった「正解のない問い」を突きつけられたように感じています。
国、あるいは専門機関など、「誰か」が絶対的な答えを持っていて、それを教えてくれるというものではないということが明らかになりました。
このような時代にあって「生きていく力」とは、
自ら地域や社会の中の課題をみつけ、
多くの情報を集めるなかでより正確な情報は何かを見極め、
それらの情報をもとにどのように解決すべきかを思考し、自分なりの解決策をみつけ、
少しずつ実践していくことのできる「力」だと思います。
「方言札」のように、社会や時代の状況によって、価値観、教育観は変わっていきます。
国や自治体が全て正しいということはありません。
学校教育では、学習指導要領や教科書に基づき、基礎的な学習能力を培っていきます。
そこには与えられた問題があり、そして正解が存在します。
しかし、実際の社会のなかには「正解のない問い」が多くあり、場合によっては、「問い」自体が隠れていて、みえづらくなっているということもよくあります。
このような隠れた「問い」をみつけ、さまざまな情報を基に考え、自分なりの解決策をみつけ、実践していくという能力は、学校教育だけでは身に付きません。
前島アートセンターで行ってきた子どもワークショップや公民館の事業で意識しているのは、学校教育とは異なる価値観との出会い。そのなかで創造的な活動を通して学校では得られない体験ができるようにと企画してきました。
地域のなかで、さまざまな世代の多くの人と知り合い、多様な価値観に触れ、多くの気づきや体験を獲得していくことが「生きていく力」を身につけさせてくれると思います。
そういう活動の中で自らの居場所をみつけることが重要なのではないかと。
ちなみに、実践事例として紹介したのは「100人でだるまさんがころんだ」。
そして、小学生が通学路に愛称をつけオリジナル看板を作成、設置する「スージグァー看板設置事業」。
子ども地域通貨「ちっぴる若狭」。
(それぞれの事業の説明は面倒くさいので割愛します)
それぞれが学校教育(だけ)ではありえない(実現し難い)事業だと思うんだけど、「正解のない問い」に対しては、このような取り組みの経験が大きな力となると信じています。
最近、学校を拠点とした地域づくりってよく聞くし、実際に地域づくりの拠点として学校はとても重要な役割を果たすと思うんだけど、地域が学校教育のお手伝いをするためにある、というふうになると本末転倒な気がしています。
役割分担というか、地域は子どもたちに対して学校教育ではできないことをやるべきなんじゃないかな。
フォーラムでは、他のパネリストからも興味深い話がありました。
キャンプでの体験活動におけるナイフの事例をだしながら「子どもたちの安全を気にするあまり、先回りして危険なもの、不安なものを取り除こうとし過ぎているのではないか」という意見がでて「やっぱりそうだよねー」と納得したり、
「「最近の若者は、、、」とよく言う(聞く)けど、その若者を生み出す社会をつくっている我々大人に問題がある」という意見に「そうそう」と共感したり。
今回のフォーラムで少し悔やんでいるのが「我々大人の問題」ということをもう少し突っ込んでいければよかったなー、ということ。
学校教育で学ぶ期間って、人生のなかでほんのひと時でしかありません。
でも人の価値観ってその期間に大部分がつくられるように思います。
「方言札」の例からもわかるように、時代や社会の状況によって価値観は変わるのだから、人それぞれも常に自分が築き上げた価値観を疑って、新たな情報を仕入れることによって更新する必要があるはずなんだけど、なかなかそれができない人が多いように感じています。特に学校という閉鎖的な空間で培われた価値観なんて、実際の社会では通用しないことも多いと思うけど、やっぱりいつまでたっても引きずってしまいます。
子どもや若者の問題と言われていることって、子ども自身、若者自身が原因で起こっているのではなくて、子どもや若者は社会の歪みが現れやすい弱い立場にいるだけであって、彼らが悪いわけではないと思います。
つまり、そのような社会をつくっている大人に責任がある。大人が子どもや若者の問題を自分自身の問題として引き受けるという気持ちでいればもっと社会も教育環境もよくなると思うんだけど、なかなかそうはいかないらしい。
「生きていく力」として挙げた
・自ら地域や社会の中の課題をみつけ、
・多くの情報を集めるなかでより正確な情報は何かを見極め、
・それらの情報をもとにどのように解決すべきかを思考し、自分なりの解決策をみつけ、
・少しずつ実践していくこと
というのは、大人から率先してやってほしいことでもあります。
そういう意味でも公民館に勤める立場として、社会状況をふまえて価値観の更新を行うために「生涯学習」が必要だということをしっかり言えるとよかったなー、と今さらながら思っています。
ちょっと言葉が足りなかった。
フォーラムの最後に、コーディネーターのひーぷーさんから「子どもたちが「生きていく力」を身につけるために、私たち大人はどうすればよいのか」という質問があったので、「想像力を持つこと」と答えました。
ものごとを見る時って、これまでの経験則とそれによって培われた価値観でしかみれないけど、他の価値観がある、自分とは異なる立場の人がいる、って想像力を働かすことで、見え方が変わることってあると思う。
このような教育関係のフォーラムだと、かならず家庭教育の重要性というのが言われるんだけど、じゃあ不安定な家庭環境にある子はどうすればいいんだろう。
家庭環境が良くないからという理由でその子が教育を受ける権利が奪われていいはずがない。
「想像してごらん」と言われても、手がかりがなくては想像しづらいというのもわかる。
でも、みえないものは存在しないということではない。
知らないことがあるということ、気づいていないことがあるということ、その可能性があるということを意識すると手がかりはつかめると思うのです。
本当は昨年中に「なは教育の日」フォーラムで伝えたかったこと、言えなかったことや言い足りなかったことを書こうと思っていたんだけど、いつの間にか年が明けてしまいました。
書き始めると長くなってしまってわけが分からなくなってきたんだけど、今なんとなくモヤモヤと考えていることとつながっているような気もしたので、中途半端だけど記録として書いてみました。
新年らしいネタをかけるとよかったんだろうけど、昨年を引きずってしまったネタで申し訳ない。
ではでは、今年もよろしくお願いします。
ぐすーよー ちゅーうがなびら
わんねー めーぐすくじゅん りいちょーいびーん
うまりたるとぅくるや なーふぁぬしちなやいびーん
なまくらちょーるとぅくるや わかさまちやいびーん
ちゅーや ゆたさるぐとぅ うにげーさびら
(こんにちは! 皆さん ご機嫌いかがですか)
(私は 宮城潤 ともうします)
(生まれは 那覇市識名です)
(現在の住まいは 若狭です)
(今日は よろしく お願いします)
12月10日に開催された「なは教育の日」フォーラムにパネリストとして発表した際、このうちなーぐちの挨拶からはいりました。
もともと、うちなーぐちは全然しゃべれず聞くことも出来ないんだけど、それでも登壇直前に教えてもらい、無理して使ってみました。
最近、那覇市では、このような式典や会合の際、冒頭だけでもうちなーぐちで挨拶をしようと勧めているそう。
ちょうどフォーラム直前の副市長挨拶でも、「はいさい ぐすーよー ちゅーうながびら」から入り、市長がうちなーぐちを推奨していると話していました。
普段使い慣れないうちなーぐちを無理して使ったのは、那覇市が勧めているから、というわけではありません。
「方言札」について耳にすることは多いけど、これは主に学校教育の中で標準語を普及させるため行われたもの。
その名残か、自分が子どもの頃も「本土並み」を目指した教育の中で「沖縄方言は使ってはいけない」という価値観が一般的だったように思います。
それが今では、9月18日を「しまくとぅばの日」と制定し、それぞれの土地の言葉を使うことを自治体が奨励している。
何が言いたかったかというと、時代や社会の状況によって「教育観」は変容するということです。
今回のフォーラムのテーマは「時代の転換期に求められる生きていく力とは?」サブタイトル「〜大震災・原発事故からの復興にむけて〜」。
時代の変革期ともいわれている今日、子どもたちに求められる「生きていく力」とはなんなのか、パネリストそれぞれの体験談や活動事例を通して考えていくという趣旨でした。
3月11日、未曾有の被害をもたらした「東日本大震災」が発生。あわせて福島の原発事故。
日本中はパニック状態に陥り、被災地から最も離れた沖縄でも連日テレビ等で流れてくる映像をみながら、人生観が揺さぶられると同時に「なにか自分たちに出来ることはないか」「今後どのように生きていくべきか」と考えた方も多かったはず。
そして現在、多くの方が避難のため沖縄に住まいを移され、身近にもそのような方々多くいるという状況があります。
このたびの震災・原発事故で、さまざまな価値観、人生観が大きく揺さぶられたというのは間違いありません。
同時に「大きな災害が起こったとき、どうすればよいのか」「原発は必要か」といった「正解のない問い」を突きつけられたように感じています。
国、あるいは専門機関など、「誰か」が絶対的な答えを持っていて、それを教えてくれるというものではないということが明らかになりました。
このような時代にあって「生きていく力」とは、
自ら地域や社会の中の課題をみつけ、
多くの情報を集めるなかでより正確な情報は何かを見極め、
それらの情報をもとにどのように解決すべきかを思考し、自分なりの解決策をみつけ、
少しずつ実践していくことのできる「力」だと思います。
「方言札」のように、社会や時代の状況によって、価値観、教育観は変わっていきます。
国や自治体が全て正しいということはありません。
学校教育では、学習指導要領や教科書に基づき、基礎的な学習能力を培っていきます。
そこには与えられた問題があり、そして正解が存在します。
しかし、実際の社会のなかには「正解のない問い」が多くあり、場合によっては、「問い」自体が隠れていて、みえづらくなっているということもよくあります。
このような隠れた「問い」をみつけ、さまざまな情報を基に考え、自分なりの解決策をみつけ、実践していくという能力は、学校教育だけでは身に付きません。
前島アートセンターで行ってきた子どもワークショップや公民館の事業で意識しているのは、学校教育とは異なる価値観との出会い。そのなかで創造的な活動を通して学校では得られない体験ができるようにと企画してきました。
地域のなかで、さまざまな世代の多くの人と知り合い、多様な価値観に触れ、多くの気づきや体験を獲得していくことが「生きていく力」を身につけさせてくれると思います。
そういう活動の中で自らの居場所をみつけることが重要なのではないかと。
ちなみに、実践事例として紹介したのは「100人でだるまさんがころんだ」。
そして、小学生が通学路に愛称をつけオリジナル看板を作成、設置する「スージグァー看板設置事業」。
子ども地域通貨「ちっぴる若狭」。
(それぞれの事業の説明は面倒くさいので割愛します)
それぞれが学校教育(だけ)ではありえない(実現し難い)事業だと思うんだけど、「正解のない問い」に対しては、このような取り組みの経験が大きな力となると信じています。
最近、学校を拠点とした地域づくりってよく聞くし、実際に地域づくりの拠点として学校はとても重要な役割を果たすと思うんだけど、地域が学校教育のお手伝いをするためにある、というふうになると本末転倒な気がしています。
役割分担というか、地域は子どもたちに対して学校教育ではできないことをやるべきなんじゃないかな。
フォーラムでは、他のパネリストからも興味深い話がありました。
キャンプでの体験活動におけるナイフの事例をだしながら「子どもたちの安全を気にするあまり、先回りして危険なもの、不安なものを取り除こうとし過ぎているのではないか」という意見がでて「やっぱりそうだよねー」と納得したり、
「「最近の若者は、、、」とよく言う(聞く)けど、その若者を生み出す社会をつくっている我々大人に問題がある」という意見に「そうそう」と共感したり。
今回のフォーラムで少し悔やんでいるのが「我々大人の問題」ということをもう少し突っ込んでいければよかったなー、ということ。
学校教育で学ぶ期間って、人生のなかでほんのひと時でしかありません。
でも人の価値観ってその期間に大部分がつくられるように思います。
「方言札」の例からもわかるように、時代や社会の状況によって価値観は変わるのだから、人それぞれも常に自分が築き上げた価値観を疑って、新たな情報を仕入れることによって更新する必要があるはずなんだけど、なかなかそれができない人が多いように感じています。特に学校という閉鎖的な空間で培われた価値観なんて、実際の社会では通用しないことも多いと思うけど、やっぱりいつまでたっても引きずってしまいます。
子どもや若者の問題と言われていることって、子ども自身、若者自身が原因で起こっているのではなくて、子どもや若者は社会の歪みが現れやすい弱い立場にいるだけであって、彼らが悪いわけではないと思います。
つまり、そのような社会をつくっている大人に責任がある。大人が子どもや若者の問題を自分自身の問題として引き受けるという気持ちでいればもっと社会も教育環境もよくなると思うんだけど、なかなかそうはいかないらしい。
「生きていく力」として挙げた
・自ら地域や社会の中の課題をみつけ、
・多くの情報を集めるなかでより正確な情報は何かを見極め、
・それらの情報をもとにどのように解決すべきかを思考し、自分なりの解決策をみつけ、
・少しずつ実践していくこと
というのは、大人から率先してやってほしいことでもあります。
そういう意味でも公民館に勤める立場として、社会状況をふまえて価値観の更新を行うために「生涯学習」が必要だということをしっかり言えるとよかったなー、と今さらながら思っています。
ちょっと言葉が足りなかった。
フォーラムの最後に、コーディネーターのひーぷーさんから「子どもたちが「生きていく力」を身につけるために、私たち大人はどうすればよいのか」という質問があったので、「想像力を持つこと」と答えました。
ものごとを見る時って、これまでの経験則とそれによって培われた価値観でしかみれないけど、他の価値観がある、自分とは異なる立場の人がいる、って想像力を働かすことで、見え方が変わることってあると思う。
このような教育関係のフォーラムだと、かならず家庭教育の重要性というのが言われるんだけど、じゃあ不安定な家庭環境にある子はどうすればいいんだろう。
家庭環境が良くないからという理由でその子が教育を受ける権利が奪われていいはずがない。
「想像してごらん」と言われても、手がかりがなくては想像しづらいというのもわかる。
でも、みえないものは存在しないということではない。
知らないことがあるということ、気づいていないことがあるということ、その可能性があるということを意識すると手がかりはつかめると思うのです。
本当は昨年中に「なは教育の日」フォーラムで伝えたかったこと、言えなかったことや言い足りなかったことを書こうと思っていたんだけど、いつの間にか年が明けてしまいました。
書き始めると長くなってしまってわけが分からなくなってきたんだけど、今なんとなくモヤモヤと考えていることとつながっているような気もしたので、中途半端だけど記録として書いてみました。
新年らしいネタをかけるとよかったんだろうけど、昨年を引きずってしまったネタで申し訳ない。
ではでは、今年もよろしくお願いします。
12月8日の沖縄タイムス「魚眼レンズ」に取り上げていただきました。
以前「脳内メーカー」っていうのが話題になったことがありますよね。
そのあと「成分分析」というのも続けて出てきました。
現在の宮城潤の成分の多くは「前島アートセンター」で出来ていると思うんだけど、そのほかに「公民館」だとか「PTA」だとか、ほんの少し「燃えるゴミ」っていうのもあるかな。
あと中心ではないけど、欠かせないのが「復帰っ子」。
1972年に生まれたというだけで「復帰っ子」と名付けられ、そのアイデンティティーを持っている同い年の人たち。
イデオロギーや職種を越えてワイワイやれる同窓会的なコミュニティーってなんか可能性があるような気がしています。
というわけで、今回は「復帰っ子」として取り上げていただいています。
来年は復帰40周年。
10年に一度「復帰っ子」がもてはやされる年です。
ちなみに、復帰30周年のときはNHKの「週刊こどもニュース」という番組でインタビューを受け、お話ししました。
何をしゃべったかは全然覚えていませんが。。。

しかし、この写真見て「太ったなー」と実感。
最近会う人に「太った?」ってよく言われるんだけど、「そんなことないよ」と返事しつつ、たしかに身体が重いし、ブカブカだったズボンがベルトなしでも大丈夫。(かえってキツいくらい。。)
忘年会シーズンに突入しているけど、体調と体重管理に気をつけなくては。
以前「脳内メーカー」っていうのが話題になったことがありますよね。
そのあと「成分分析」というのも続けて出てきました。
現在の宮城潤の成分の多くは「前島アートセンター」で出来ていると思うんだけど、そのほかに「公民館」だとか「PTA」だとか、ほんの少し「燃えるゴミ」っていうのもあるかな。
あと中心ではないけど、欠かせないのが「復帰っ子」。
1972年に生まれたというだけで「復帰っ子」と名付けられ、そのアイデンティティーを持っている同い年の人たち。
イデオロギーや職種を越えてワイワイやれる同窓会的なコミュニティーってなんか可能性があるような気がしています。
というわけで、今回は「復帰っ子」として取り上げていただいています。
来年は復帰40周年。
10年に一度「復帰っ子」がもてはやされる年です。
ちなみに、復帰30周年のときはNHKの「週刊こどもニュース」という番組でインタビューを受け、お話ししました。
何をしゃべったかは全然覚えていませんが。。。

しかし、この写真見て「太ったなー」と実感。
最近会う人に「太った?」ってよく言われるんだけど、「そんなことないよ」と返事しつつ、たしかに身体が重いし、ブカブカだったズボンがベルトなしでも大丈夫。(かえってキツいくらい。。)
忘年会シーズンに突入しているけど、体調と体重管理に気をつけなくては。
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